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ミミおよびミ
ミミ(耳、彌彌、美美)およびミ(彌、見、美、海、看)は古代日本の尊称。
概説
「ミ」(霊)は神格を表す尊称(神霊の意)として「ワタツミ」(海つ霊)や「ヤマツミ」(山つ霊)等と用いられ、「ミミ」(霊霊)はその「ミ」(霊)を重ねたものとされる。
地域的首長としてのミミおよびミ
『魏志倭人伝』は3世紀の投馬国の首長に「彌彌(ミミ)」および「彌彌那利(ミミナリ)」がいたことを記している。
『古事記』および『日本書紀』では和泉地方に陶津耳(スエツミミ)、摂津地方に三嶋溝橛耳(ミシマミゾクイミミ)、丹波地方に玖賀耳(クガミミ)、また但馬地方に前津耳(マサキツミミ)が記録されているが、いずれもその地方の首長と考えられている。 『出雲国風土記』には波多都美(ハタツミ)や伎自麻都美(キジマツミ)など「ミ」の付く人物が記されており、いずれも地域的首長である。
また『古事記』の出雲神話に出てくる須賀之八耳(スガノヤツミミ)、布帝耳(フテミミ)、鳥耳(トリミミ)、多比理岐志麻流美(タヒリキシマルミ)、天日腹大科度美(アメノヒバラオオシナドミ)も地域的首長と考えられる。
他に近江国伊香郡の伊香刀美(イカトミ、伊香津臣命か)なども地名にミを付けた地域的首長を表すと考えられる。また綏靖天皇の和風諱号である神沼河耳命(カムヌナカワミミ)や、その兄である神八井耳命(カムヤイミミ)なども同様である。
神社におけるミミおよびミ
若狭国の彌美(ミミ)神社、信濃国の南方刀美(ミナカタトミ)神社、近江国にある阿志都弥(アシツミ)神社、大和国高市郡にある加夜奈留美(カヤナルミ)神社、阿波国美馬郡にある波尓移麻比彌(ハニヤマヒミ)神社などは、ミミやミを神名に入れた神社である。
姓氏の中のミミおよびミ
氏の名の末尾にミがつく代表的な例には、綿津見(ワダツミ)を祖先とする阿曇氏(アヅミ)と饒速日尊を祖先とする穂積氏(ホヅミ)がある。氏の名にミは付かないが、その祖先にミがつく例には、賀茂氏の祖先の大賀茂都美(オオカモツミ)、久米氏の祖先の味耳(ウマシミミ)、吉備氏の祖先の御鋤友耳(ミスキトモミミ)、紀氏の祖先の豊耳(トヨミミ)、肥君の祖先の健緒組(タケモロクミ)、日置部氏の祖先の天櫛耳(アメノクシミミ)、額田部氏の祖先の天申久富(アメノユクトミ)がいる。
皇室系譜のミミおよびミ
皇室系譜の最も古い部分にミミおよびミの系譜が見られる。とりわけ神武天皇(別名ホホデミ)の子として多芸志美美命(手研耳(タギシミミ)命)、神八井耳(カムヤイミミ)命、神渟名川耳(カムヌナカワミミ)尊、日子八井(ヒコヤイミミ)命(『日本書紀』には登場しない)、岐須美美命(『日本書紀』には登場しない。『先代旧事本紀』の研耳(キスミミ)命に相当)が記録されている。
豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)
ミミズク(木菟、木兎、鵩、鶹、鵂、角鴟、鴟鵂、耳木菟、耳木兎)
御味御付(御御御付、おみおつけ)
三重 サザン(南、みなみ) 巳巳 66 🐍🐍
ねみみにみづ(子巳巳に水、①⑥⑥二✡)
三葉結び目
三葉結び目(さんようむすびめ/みつばむすびめ、Trefoil knot)またはクローバー結び目とは、位相幾何学の一分野である結び目理論において、自明でない最も単純な結び目である。ロープワークでいうところの止め結びに相当する。
名前の由来は植物のクローバー。三葉結び目をあしらったデザインの彫刻やロゴなどは多く、例えばウェールズ大学の数学科は彫刻家のジョン・ロビンソンが作成した三葉結び目状の彫刻を学科のシンボルとしている。
三葉結び目の性質
- 両手型結び目ではない。つまり、鏡像と等しくない。そのため正確には三葉結び目には右図のように右手型と左手型の2種類が存在する。
- 可逆である。つまり、正逆どちらの向きをつけても等しい。
- 素な結び目である。つまり、自明でない結び目同士の合成によって得ることはできない。
- 交代結び目である。つまり交代射影図を持つ(右図の射影図はいずれも交代射影図である)。
- 最小交点数(射影図の交点の数の最小値)は3である。交点数が3の結び目は三葉結び目以外には存在しない。
- 結び目解消数(結び目を解くために最低限必要な交差交換の回数)は1である。
- 組み紐指数は2である。
- 2本橋結び目である。つまり、橋指数(射影図の最長上道の本数の最小値)は2である。
- 棒指数(折れ線状結び目として表現するのに最低限必要な辺の数)は6である。
- 結び目の種数(その結び目のザイフェルト曲面の最小種数)は1である。
- (±2,±3)型もしくは(±3,±2)型のトーラス結び目である。
- 左手型のジョーンズ多項式は、右手型はである。
- アレクサンダー多項式は左手型・右手型ともにである。
- 3次元球面に対して右手型三葉結び目に沿って係数1のデーン手術を施すと、ポアンカレホモロジー球面が得られる。左手型に係数-1で手術した場合も同様である。
3つハ 産す日女
Oṃ ha ha ha vismaye svāhā क्षितिघर्भ
ナンム
ナンム(Nammu)は、シュメール神話の海の女神。天地を生んだ母、全ての神々を生んだ母なる祖先と称される。シュメール人にとって彼女は始原の存在であり、永遠の昔から存在していたものと考えられている。
概要
世界にはまず最初に原初の海であるナンムが存在し、彼女は天と地が結合している「天地の山」アン、キを生んだ。アンは男神、キは女神であり、アンとキの結合から大気の神エンリルをはじめとする神々が誕生した。また、ナンムは神の代わりに働かせるために人間を造った。ナンムを表す楔形文字は表意文字で「海」「深淵」を意味しており、容姿はウルから出土した蛇の頭を持つ女神のように蛇女神として表現されている。メソポタミアでは宇宙は女神が宇宙を妊娠し、出産することで誕生すると考えられていた。
ナンム信仰は数千年に渡って続けられ、ウル・ナンムは彼女から名前を取って、自らを「女神ナンムの召使」と称した。ナンムは海の女神ティアマトの原型であったと推定されている。
2106 🐍
天皇大帝
概要
古代中国では地上からは天空のある一点を中心として星々が巡っているように見えることを知っており、そこを北辰と呼び(天の北極に該当する)、宇宙の中心と考えられていた。そして神格化され、道教や日本で使われる称号の天皇にも取り入れられたとする説がある。
中国の唐の高宗は 「天皇」 と称し、死後は皇后の則天武后によって 「天皇大帝」 の諡(おくりな)が付けられた。これは日本の天武天皇による 「天皇」 の号の使用開始とほぼ同時期であるが、どちらが先であるかは研究者間でも結論が出ていない。
道教では 「北極紫微大帝(北極大帝・紫微大帝)」 とも成り、また北斗七星が神格化された 「北斗真君(北斗星君)」 と習合した。「北極紫微大帝」 と 「北斗真君」 とは本来は別の神であったが、現在でも分ける場合と同一視する場合とがある。
中国の皇帝や日本の皇室の北斗信仰にもこの同一視が見られる。中国の皇帝の祭服の左袖には北斗七星、右袖には織女がデザインされている。宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服は背中の中央上部にも北斗七星が置かれている。ただし、織女はない。
星座(星官)としての天皇大帝
現在の北極星(こぐま座α星)は柄杓の柄(小熊の尻尾)の先端にあるが、紀元前1100年ごろにはこぐま座β星の北極距離が約6.5度と、天の北極に最も近い北極星であり、帝と呼ばれていた。
そして、信仰の対象とは別に天皇大帝という名の星座も存在した。『開元占経』 の「巻69 甘氏中官占」 に見える。『晋書』 「天文志」 には 「口中一星を天皇大帝と曰(い)ふ」 という記述がある。この 「口中」 は、天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を護衛する勾陳(こうちん)という星座で、その第二星(こぐま座δ星、4等)・第一星(同α星・ポラリス、2等)・第五星(ケフェウス座HD5848、4等)・第六星(同 HD217382、5等)で描かれる四辺形のことを指しており、天皇大帝はその中にある5等星(同 HD212710)である。『和漢三才図絵』 でも天皇大帝は 「口」 の中に当たる位置に記されているが、この図はかなり不正確なので注意が必要である。なお、オランダの東洋学者シュレーゲルは、こぐま座α星を天皇大帝と同定している。ただし、大崎によれば、シュレーゲルによる同定は 「第一級の資料とは認められない」 とのことである。
信仰
北斗七星(おおぐま座)は水を汲む 「斗」 の形をしており、大地を潤す農耕の神のシンボルでもあった。『史記』 『星経』 には北斗は北辰を中心に一晩で一回転し、一年で斗柄は十二方位を指し、止まることのない永久時計として陰陽(太陽と月のこと)、そして夏・冬を分け、農耕の作業時期を示し、国家安寧を保証するとある 。
天皇大帝はその聖性の象徴として神器(道教の用語)を持っている。神器は 「鏡」 と 「剣」 であり、呪具(magic tool)と威儀具とを兼ねている。
儒教では、中間色である 「紫」 を正色(原色)である 「赤」 よりも格下に見る が、天皇大帝は 「紫宮」 あるいは 「紫微宮」、「紫宸殿」(ししんでん)、「大極殿」(だいごくでん)などと呼ばれる宮殿に住んでいることになっており、また北極星の光芒は紫色とされ、紫色を最高の神聖な色としている。
読み方
日本では 「てんおうだいてい」 と振って 「テンオーダイテー」 と発音する。諸橋轍次 『大漢和辞典』(大修館書店、1956年)に拠れば、歴史的仮名遣いは 「てんわうだいてい」 となる。発音は同じく 「テンオーダイテー」。「てんこう……」 ではない。なお同書の日本の 「天皇」 の読みは 「てんくわう(てんこう)」・「てんわう(てんおう)」 のみで 「てんのう」 を挙げていない。「てんのう」 は歴史的仮名遣いでは 「てんなう」 となる[要出典]が、各種の大型の古語辞典では 「てんなう(てんのう)」 での立項はない。「てんわう」 での立項が標準である。 星座名としては、通例 「てんこうたいてい」 と振って 「テンコータイテー」 と読む。ただし、鈴木駿太郎は振り仮名を振っていないが、索引では 「天乳」(てんにゅう)と 「天馬座」(てんまざ)の間に配置しているところから 「てんのう……」 と読んでいる。
私幣禁断に類似する禁令
私幣禁断とは、一般には皇室の祖霊を祀る伊勢神宮を天皇・皇后・皇太子以外が祀ることを禁じたことを言う。これに似た内容の禁令が以下のように出されている。
- 796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じた。罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)。
- 799年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰に灯火を奉る」 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)。
- 811年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『日本後紀』 「弘仁二年九月一日」)。
- 835年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『続日本後紀』 「承和二年八月二日」)。
- 967年施行の 『延喜式』 は斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「九月一日より三十日まで、京畿内、伊勢、近江、等の国、北辰に奉灯し、哀を挙げ、葬を改むる」 ことを禁じた。
白獅子パンジャの息子で 同じく白獅子 漫画家の島本和彦によるとモデルは昭和天皇
ジャパンヾ(╹◡╹o)ノ
北辰→玄武竜→🐢🐍🐲→氷水水蒸気→三相ti-lakkhaṇa