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“はぶ”に打たれる

ハブ (動物)

ハブ
ハブ
ハブProtobothrops flavoviridis
分類
: 動物界Animalia
: 脊索動物門Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門Vertebrata
: 爬虫綱Reptilia
: 有鱗目Squamata
亜目 : ヘビ亜目Serpentes
: クサリヘビ科Viperidae
亜科 : マムシ亜科Crotalinae
: ハブ属Protobothrops
: ハブP. flavoviridis[1]
学名
Wikispecies-logo.svgProtobothrops flavoviridis[1][2][3]
Hallowell1861
シノニム
Wikispecies-logo.svgTrimeresurus flavoviridis[4]
Wikispecies-logo.svgBothrops flavoviridis
Hallowell , 1861
和名
ハブ[1]
英名
Okinawa habu
Yellow spotted lance-head snake
Yellow spotted pit viper

ハブ波布Protobothrops flavoviridis)は、爬虫綱有鱗目クサリヘビ科ハブ属に分類されるヘビ。別名「ホンハブ」。

 

分布

日本固有種で、以下の計22島に生息する。

分布の特異性

ハブは南西諸島において、飛び石状の特異な分布をしていることが知られている。北からトカラ列島に近縁種のトカラハブが、奄美群島沖縄諸島にはハブとヒメハブが、八重山諸島にはサキシマハブが生息するが、宮古諸島には生息しない。奄美大島徳之島沖縄本島にはハブがいるが、その間の沖永良部島与論島には生息しない。沖縄本島周辺では、伊江島伊平屋島には生息するが、その間の伊是名島にはいない。久米島渡名喜島には生息し、粟国島にはいない。慶良間諸島でも、渡嘉敷島には生息するが、座間味島にはいないなど、近接した島でも生息する島と生息しない島に分かれている。

この理由について、現在考えられているのは、間氷期の海進の影響である。南西諸島の島々は、大きく分けて隆起石灰岩からなる標高の低い島と、火成岩からなる標高の高い島があり、低い方の島は、最高部でも標高が100mほどしかない。そこで、以下のような仮説が立てられる。

  1. 氷河期に陸続きであった琉球列島に、ハブ類が分布を広げた。
  2. 氷期が終わり、海面が上がり、島々が孤立。
  3. さらに海水面が上昇し、低い島は水没、陸上動物は全滅した。
  4. 海水面が下がると低い島も顔をだすが、ハブは渡ってこられない。

ヒメハブがいるのにハブがいない島、その逆にハブはいるがヒメハブはいない島などもあり、詳細については問題もあるが、大ざっぱに言えば、ハブのいない島は標高の低い島であり、固有種も少ない傾向がある。

形態

ハブの頭部 この個体は眼線を始め紋様がやや薄い

全長100-200センチメートル[5]、最大全長241センチメートル[6]。体重1.35キログラム[6]。雄は雌より大きくなる。[5]

頭部は大きく、他のクサリヘビ同様三角形をなし、眼と鼻の間にはピット器官が見られる[5]

2011年10月12日沖縄本島北部の恩納村で体長242cm・体重2.8kg程度の個体が、また奄美大島では2009年7月16日に体長226cm・体重3.15 kg、胴回りの最大周が約20cmの個体が捕獲されている。ハブ属内でも大型であり、要因として本種の生息地にナメラ属が分布しなかったことにより本種がその生態的地位(ニッチ)を占めたとする説もある。

黄褐色の地に黒褐色の斑紋が入る[5] が、体色や斑紋には地域変異があり、島ごとの色彩形も知られる。例えば、久米島では、斑紋が背面の正中線に限るという体色のものが多く見られる。[5] 現地では、斑紋が不明瞭で黄色味がかるものを金ハブ、斑紋は残るが赤や黄色の色素が欠乏したものを銀ハブと呼び、その他赤ハブ黒ハブと、色彩の変異によって区別されることがある。[5] また、腹部の色は白い。[5]

種小名flavoviridisは「黄緑」の意

毒性はニホンマムシよりも弱いが、毒牙が1.5センチメートルと大型で毒量が100-300ミリグラムと多い[7]。1回の咬傷にあたり平均22.5ミリグラム、最大103ミリグラムの毒液を排出する[7]

局所的な症状としては患部の腫張や疼痛があり、直接的あるいは局部の腫張することで循環機能が圧迫され間接的に患部の壊死・機能障害を引き起こすこともある[7]。四肢へ咬傷された場合は拘縮により運動障害を残すこともある[7]。嘔吐、腹痛、下痢、血圧低下、意識障害などの症状も引き起こし、血液凝固成分も含まれるが血液凝固異常や急性腎不全を引き起こすことは少ない[7]。一度咬傷されたことがある場合は、急激な血圧低下や気管狭窄といった重篤な症状を伴うアナフィラキシーショックを引き起こすこともある[7]。咬傷された場合は循環不全によるショック状態に陥るため、血清の使用などによる迅速な処置が必要になる[7]。致死量は体重1キログラムあたり乾燥重量にして6ミリグラム[6]

生態

夜行性で、昼間は穴の中などで休む[8] が、小雨や曇天の時などには昼間の活動もみられる。[5]平地から山地森林草原水辺農地に棲む。地表でも樹上でも活動する[8]。ネズミを追って、人家周辺にも入り込む。沖縄式の墓は、石垣を高く積み、藪や森の近くに作られるので、ハブがよく棲み着くと言われる。実際に発見される場としては、サトウキビ畑も多い。サトウキビ畑は、年に一回の刈り取り以外は高い草に覆われ、外部からハブが侵入する機会が多い。これをすべて刈り取るので、その際に発見される。ただし、サトウキビ畑で常時生活しているものではなく、本島南部のように、森林も藪も少なくて一面にサトウキビ畑という環境では、ハブの出現は少なくなる。性質は非常に攻撃性が強くピット器官で感知したものには威嚇行動をせず[5] 即座に襲いかかる徳之島に生息する個体は特に攻撃的で、実際にハブ咬症人口が最も多いのは徳之島である。[5] 攻撃時には体の2/3ほども伸ばして毒牙を立てる。このしなるのように俊敏なハブの攻撃は、現地の人は「ハブに打たれる」と称しているほどである。

食性は動物食で、主に小型の哺乳類クマネズミ属、など)、鳥類爬虫類両生類魚類などを食べる[5][6]。クマネズミ属は食性の82.5%を占めるとする報告例もある[6]。また、アマミノクロウサギネコオオウナギなどが捕食された例がある。[5] 幼蛇は爬虫類や両生類、小型の哺乳類を食べる傾向が強い[5][6]

繁殖形態は卵生。4月に交尾を行い、オス同士でからみつきあい争う(コンバットダンス)[5][8]。7月に1回に4-15個の卵を産む[8]。卵は約40日で孵化する[8]。幼蛇は孵化するときに既に毒が備わっている。[5] メスは出産直後から、しばらくの間は卵を守る。[5]

一年を通して見られ、冬眠はしない。ただ、変温動物ということもあり、気温の低下する12-2月頃には動きが鈍くなる。[5]

マングースとの関係

ハブを捕食する生物は、猛禽類などが知られる。ただし、この2種共に積極的に本種を捕食することはなく、特に離島においてハブは生態系の頂点に立っているケースが多い。そのため、天敵とすべく海外からフイリマングースが持ち込まれたものの、むしろハブを捕食するどころか、現地のウサギや昆虫といった離島独特の希少種を捕食し、絶滅危惧種に陥った在来種が多く存在する。加えて農作物や鶏など多くの家畜も食い荒らしただけでなく、家屋に浸入してペットのイエネコを襲った例もあった。このためマングースは日本国内において完全な害獣と化し、当初の目的とは逆に駆除作業が進められている。そもそもマングースにとってもハブを捕食する行為は非常に危険を伴い[9][10]、そのため、他に餌を補充できる環境があるならば、それを積極的に行う必要は全く無い。これらの結果、マングースの移入は外来種持ち込みの失敗例として頻繁に取り上げられている。

かつては沖縄や奄美の各地で観光客向けにハブとマングースを戦わせるショーが行われていたが、動物愛護法の改正により禁止されたため中止された。一部の施設では、戦いの様子を写した映像を上映している[11][12]

人間との関係

薩摩藩では1865-1870年に卵を含め駆除した者に、玄米を賞与として与えていた[6]

近年は血清の普及により本種の咬傷による死亡例はほぼなくなっているが、1979-1999年には年あたり0-2人の死亡例(83-84、86、91、93-96年は死亡報告例なし。81、87-89、98年は2人死亡。)がある[7]。死亡例は咬傷後24時間以内が75%、48時間以内が90%[7]

本種の血清1904年北島多一によって作成され、1905年に実際に投与されるようになった[6]この血清は液体で冷蔵庫が普及していないにも関わらず冷温保存が必要であり保存期間が短かったが、後に沢井芳男によって凍結乾燥させた血清が開発された[6]。後にハブ毒中和作用のあるEDTAなどを添加した血清が作出され、筋肉注射だけでなく静脈注射も併用して行われるようになったため壊死による後遺症も減少した[6]1965年からは無毒化した毒素や高純度トキソイドによる予防接種が開始されたが、2003年にトキソイドを作成していた研究所の閉鎖に伴い予防接種は終了した[6]

沖縄・奄美の農家にとっては、害獣であるネズミを退治してくれるという意味ではハブは非常に重要な存在となっている。『完本 毒蛇』(小林照幸著、文春文庫)では、ハブについて、毒さえなければ、ハブほど役に立つ動物はいない。という記述があるほどである。ネズミを追って人家に侵入することもあり、飼い猫の子猫を捕食した例も報告されている。人の生活の中で接する機会は多いので、最も危険な毒蛇の一つに数えられている。また、ハブには非常に強い攻撃性があるため森林への立ち入りが恐れられ結果的に琉球列島の森林環境を良好に保ってきたとも言われている。

戦後、沖縄本島の各所に駐留している在日米軍沖縄駐留部隊にとってもハブは大きな脅威であり、"Habu"という和名は在日米軍内でも本種を指す単語として通じる程である。また"Habu"(もしくは"Have")はアメリカ空軍でも航空機のニックネームに用いられており、ロッキード社製の超音速戦略偵察機SR-71 ブラックバード嘉手納基地に配備された際には"Habu Plane"(ハブ・プレーン)のニックネーム(兼、秘匿名称)が、同じくロッキード社が開発した世界初の実用ステルス戦闘機F-117 ナイトホーク飛行空力実験機には"Have Blue"(ハヴ・ブルー)のコード・ネームが用いられている。

TVドラマ版『男はつらいよ』では、車寅次郎はハブ獲り名人となって一旗上げることを目指して奄美大島に渡り、ハブに咬まれて死亡した、という最終回となっている。

ハブ酒

奄美大島ハブ酒奄美観光ハブセンター、2009年7月)
上述の2009年7月16日捕獲個体が漬けられている

ハブを漬けた酒の品種。ベースは奄美大島・徳之島の黒糖焼酎、沖縄の泡盛、鹿児島の芋焼酎などである。漢方由来のマムシ酒と同じく薬酒の一種とされ、男性が飲むと精力向上効果があるといわれる[13]ただし科学的根拠はない

脚注

[ヘルプ]
  1. abc日本爬虫両棲類学会日本産爬虫両生類標準和名(2015年5月28日改訂案)』(2015年6月6日閲覧)
  2. ^Taxon Information :Protobothrops flavoviridis”.DDBJ(DNA Data Bank of Japan)2015年4月閲覧。
  3. ^Taxonomy browser (Protobothrops flavoviridis)”.NCBI2015年4月閲覧。
  4. ^ITIS Standard Report Page- Trimeresurus flavoviridis”. ITIS2015年4月閲覧。
  5. abcdefghijklmnopq平凡社 日本の両生爬虫類314-315頁
  6. abcdefghijk水上惟文「奄美諸島におけるハブ属の生理・生態」『爬虫両棲類学会報』第2004巻 1号、2004年、11-17頁。
  7. abcdefghi堺淳、森口一、鳥羽通久「フィールドワーカーのための毒蛇咬症ガイド」 『爬虫両棲類学会報』第2002巻 2号、2002年、11-17頁。
  8. abcde鳥羽通久 「ホンハブ」『爬虫類・両生類800図鑑 第3版』千石正一監修 長坂拓也編著、ピーシーズ、2002年、328頁
  9. ^マングースが捕食していたのは比較的温厚なコブラ科のヘビであって、攻撃性の強いクサリヘビ科のハブではない。
  10. ^これまでに各地で行われてきた生息調査でもハブを捕食した記録は殆ど確認されていない
  11. ^今さらハブとマングースショーを観てきた - DEEokinawa、2012年6月6日
  12. ^ハブショー - 琉球
  13. ^http://www.okinawajoho.jp/erabu&habu/habu.html

ハブ (動物) - Wikipedia

 How many do you HABU? (Φ Φ)

 

2月11日 イサ 神武天皇即位

今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被爲告候爲メ来ル廿五日御祭典被執行候事
但當日服者参朝可憚事

— 「太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典」(明治5年太政官布告第342号)

神武天皇即位紀元 - Wikipedia

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It's, it's dual Joaquim Giovanni

バナナ型神話

バナナ型神話(バナナがたしんわ)とは、東南アジアニューギニアを中心に各地に見られる、や短命にまつわる起源神話である。

 

概要

重要なアイテムとして、共通してバナナが登場することから、スコットランド社会人類学ジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer, 1854年 - 1941年)が命名したものである[1]

「バナナ型神話」とは、だいたい以下のような説話である。

神が人間に対してバナナを示し、どちらかを一つを選ぶように命ずる。人間は食べられない石よりも、食べることのできるバナナを選ぶ。硬く変質しない不老不死の象徴であり、ここで石を選んでいれば人間は不死(または長命)になることができたが、バナナを選んでしまったために、バナナ子ができると親が枯れて(死んで)しまうように、またはバナナのように脆く腐りやすい体になって、人間は死ぬように(または短命に)なったのである[2]

スラウェシ島(セレベス)のアルフール族(トラジャ族)の神話

スラウェシ島(植民地時代の名称はセレベス)の神話。アルフール族は『「イスラムではない人」=「森の人」』と言う意味の総称であり、個別の族名では「トラジャ族」が同様の神話を伝えている。

初め天と地の間は近く、人間は、創造神が縄に結んで天空から垂し下してくれる贈物によって命を繋いでいたが、ある日、創造神は石を下した。我々の最初の父母は、「この石をどうしたらよいのか。何か他のものを下さい」と神に叫んだ。神は石を引き上げてバナナを代りに下して来た。我々の最初の父母は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、「お前たちはバナナを選んだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子供をもつときには、親の木は死んでしまう。そのようにお前たちは死に、お前たちの子供たちがその地位を占めるだろう。もしもお前たちが石を選んだならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに。[3]

日本神話

日本神話にも、天孫降臨の段において類似した説話が見られる。

降臨した天孫ニニギに対し、国津神であるオオヤマツミが娘のイワナガヒメ(姉)コノハナノサクヤビメ(妹)の姉妹を嫁がせる。しかしニニギは醜いイワナガヒメを帰してしまい、美しいコノハナノサクヤビメとのみ結婚してしまう。コノハナノサクヤビメ天孫繁栄の象徴として、イワナガヒメ天孫長寿の象徴として嫁いだものであったが、イワナガヒメが送り帰されたために天孫天皇)は短命になったのであるという。この説話にはバナナが登場しないが、岩すなわち石を名前に含むイワナガヒメが選ばれていないこと、それによって短命になったということから、バナナ型神話の変形と考えられている。コノハナノサクヤビメはすなわちすぐに散ってしまうであり、食べればなくなってしまうバナナに対応しているとも考えられる。[4]

なお、この説話は旧約聖書創世記29章における、ヤコブの妻である、レア(姉・不美人・多産)とラケル(妹・美人・少産)の姉妹の説話とも類似している。

創世記

旧約聖書創世記に出てくる生命の樹知恵の樹(善悪の知識の樹)の説話も、このバナナ型神話の変形であると考えられる。

エデンの園の中央にはによって2本の樹、すなわち、その実を食すと永遠の命を得ることができる生命の樹と、知恵(善悪の知識)を得ることができる知恵の樹が植えられていた。この内、知恵の樹の実の方は神によって食べることを禁じられていた(禁断の果実)。知恵の樹の実を除いて、エデンの園に生る全ての果実は食べても良いとされていた。

しかし生命の樹の実と知恵の樹の実、二者択一の内、に唆されたとはいえ、人類は禁じられていた知恵の樹の実の方を選んで食べてしまったために、善悪の知識を得る代わりに永遠の命を得る機会を失い、神によってエデンの園を追放されてしまう。それ以降人類は必ず死ぬようになったのである。

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。(創世記2章8節)

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良い全ての樹を生えさせた。園の中央には、生命の樹、それから善悪の知識の樹を生えさせた。(創世記2章9節)

神である主は人に命じて仰せられた。

「あなたは、園のどの樹からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の樹からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2章16-17節)

なぜここで知恵の樹の実を食べると必然的に死ぬようになるのかというと、「知恵の樹の実を食べると必ず死ぬ」と定義づけられているということもあるが、生命の樹知恵の樹は互いに相反する性質を持つ双対であり、一方の選択肢(バナナ・知恵の樹・必然の死)を選ぶと、もう一方の選択肢(石・生命の樹・永遠の命)を失うというバナナ型神話の構造に由来するのである。

「知恵の樹の実を選ぶということは、永遠の命の象徴である生命の樹の実を選ばないということ」で、言い換えると、「永遠の命を選ばないということは、その対極である必然の死を選ぶこと」なのである。

バナナ型神話においては選択肢は両立しないのである。そしてこの選択は不可逆であり、選び直すことはできない。よって人類は二度と生命の樹の実を得ることができずに、必ず死すべき存在となったのである。

神である主は仰せられた。「見よ。人は我々の一人のようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、生命の樹からも取って食べ、永遠に生きないように。」(創世記3章22節)

こうして、神は人を追放して、生命の樹への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3章24節)

この説話は神学的に解釈され意味づけされることによって改変され、神に対する不服従原罪、罪に対する罰、などの観点が強調され、また生命の樹が物語の背後に隠れてしまったために、趣旨が変わってしまったが、原型は人類の死の起源を説明したバナナ型神話の一種なのである。

一般的なバナナ型神話と異なる点は、間違った選択肢を選ぶと必ず死ぬことが予め明示されその選択を禁じられていることである。しかしそれでも人類は間違った選択をしてしまうのである。これは多くの神話民話によくみられる、「タブーを破ると悲劇が訪れる」という神話類型でもあると考えられる。

またバナナ型神話の類型からすれば、もしも人類が知恵の樹の実を選ばず、生命の樹の実を選んだ場合、人類は無知なままではあるが、それゆえに無垢なまま神に従順で、永遠の命を得て、エデンの園で幸せに暮らし続けた可能性を、死の起源と同時に示唆している。

エデンの園を追放された後の人類は、しばらくはそれでもかなりの長命で、メトシェラのように一代が1000年近く生きることもあったが、ノアの大洪水の頃に120年と短命になることが神によって定められた。

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。(創世記6章3節)

ギリシア神話

ギリシア神話にも類似した説話が見られる。

神々の王ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、神々と新しい人間を区別しようと考えた際、プロメーテウスはその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。

彼は大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を胃袋に入れて食べられない皮に隠して、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しそうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。

プロメーテウスはゼウスが脂身を巻かれた骨を選び、人間の取り分が皮に隠された美味しくて栄養のある肉や内臓になるように画策していた。

だが、ゼウスはプロメーテウスの考えを見抜き、敢えて神々にふさわしい腐る事の無い骨を選んだ。この時から人間は肉や内臓のように死ねばすぐに腐って無くなってしまう運命になった。

この説話の場合、(不死や永遠の命の象徴、石)(死や短命の象徴、バナナ)の二者択一を、人間ではなく神々が行う点が一般的なバナナ型神話の物語の構造からやや変則的である。

また人間が直接死や短命を選ぶのではなく、人間ではない何か(ここではゼウス)が二者択一の内の一方の不死や永遠の命を選び(もしくは得て)、残ったもう一方の死や短命を人間が押し付けられるというパターンは他の説話にも見られる。

プロメーテウスはティーターノマキアーにおいてオリュンポスの神々に敗れたティーターンの一柱であり、オリュンポスの神々に対し反抗的で人間寄りの立場であり、プロメーテウスは他のバナナ型神話における愚かな選択をする人間の代役といえる。

またプロメーテウス文化英雄であり、神々に逆らい人間に(善悪の)「知識や物」を齎す存在であり、旧約聖書における堕天使の役割も担っているともいえる。

宮古島の伝承

太古の昔、宮古島にはじめて人間が住むようになった時のこと、太陽が人間に長命を与えようとして、節祭の新夜にアカリヤザガマという人間を使いにやり、変若水(シジミズ)と死水(シニミズ)を入れた桶を天秤に担いで下界に行かせた。「人間には変若水を、蛇には死水を与えよ」との心づもりである。しかし彼が途中で桶を下ろし、路端で小用を足したところ、蛇が現れて変若水を浴びてしまった。彼は仕方なく、命令とは逆に死水を人間に浴びせた。それ以来、蛇は脱皮して生まれかわる不死の体を得た一方、人間は短命のうちに死ななければならない運命を背負ったという。

台湾セデック族の神話

太古、一人の人が、突然豚の糞の中から飛びだし、言った。

「私を洗ってください。もしあなた方が私を洗えばあなた方の体は洋蹄甲の樹と同じように換骨奪胎して永遠に生きられます。もし私を洗わなければあなた方の体は永遠に死ぬでしょう」

人々は彼が汚いのを嫌って、彼を洗わなかった。その時から人類は死ぬようになったのである。

ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩は、紀元前2600年頃に実在したと考えられている、ウルク第1王朝の王「ギルガメシュ」(シュメール語読みではビルガメシュ(「老人が若者である」の意))の物語。紀元前3千年紀末(ウル第三王朝)にはシュメール語版が成立し、紀元前2千年紀初めにはアッカド語版が成立したと考えられている。1872年大英博物館ジョージ・スミスが、ニネヴェの「アッシュールバニパル(在位:紀元前668年 - 紀元前627年頃)王宮図書館」跡から発掘されたアッシリア語版(標準アッカド語版、紀元前1300年~前1000年頃)粘土板文書の楔形文字を解読したことから、忘れ去られていた物語が再び世に知られることとなった。物語は11枚(+番外編1枚)の粘土板文書から成る。物語の内容は大きく、第一から第八までの書板(エンキドゥの死まで)と、第九から第十一までの書板(不老不死の探求)に分けられ、その内の第九から第十一までの書板(特に第十一の書板)にかけて、不老不死の賢人「ウトナピシュティム」(シュメール語版では「ジウスドラ」、アッカド神話のアトラ・ハシース叙事詩(紀元前18世紀頃成立)では「アトラ・ハシース」、ギリシア神話では「デウカリオーン」、旧約聖書の創世記(紀元前5世紀頃成立)では「ノア」、インド神話では「マヌ」に相当する)と「大洪水」と「不老不死の草」について言及されている。

ここでは、ギルガメシュ叙事詩が創世記やギリシア神話に先行しており、これらの間に何らかの関係があると考えられるので、比較のために、不要部分を省いて記述することとする。

十一の書板

ギルガメシュは遥かなるウトナピシュティム(注:「遠方」の意)に言った。

「ウトナピシュティムよ。あなたの姿を見ても、私があなたであってもおかしくないほど、全然違いがないではありませんか。どうかお願いです。私にあなたがどのようにして神々の集まりに立って、不死の生命を探し当てたのかを話してください。」


ウトナピシュティムはギルガメシュに向かって言った。

ギルガメシュよ、あなたに隠された事柄を明かそう。そして神々の秘密を話してあげよう。

(洪水伝説省略)

そこでエンリル(注:シュメールの主神)は(略)祝福する為に私たちの間に入り、私の額に触れて言いました。

『これまでウトナピシュティムは人間でしかなかった。今からウトナピシュティムとその妻は我ら神々のようになりなさい。ウトナピシュティムは遥か遠い地の河口に住みなさい。』

こうして神々は私を連れ去り、遥か遠い地の河口に住まわせました。だが今は、誰があなたの為に神々を呼び寄せて集合させることができるのですか。あなたの求める生命を、あなたが見つける為に、六日と六晩眠らずに起きていなさい。」

ギルガメシュがウトナピシュティムの足もとに座ると、眠りが雲のようにギルガメシュの上に漂った。(略)

ウトナピシュティムの妻は遥かなるウトナピシュティムに向かって言った。

「その人が目を覚ますように触れてあげなさい。やって来た道を無事に帰って行くように。出発した市の門を目指して彼の国へ帰るように。」

(略)七日目のパンがまだ炭火の上にある時、ウトナピシュティムが触れるとギルガメシュは目を覚ました。(略)

ギルガメシュは遥かなるウトナピシュティムに向かって言った。

「ああ、ウトナピシュティムよ、私はこの先どうしたらよいでしょう。私はどこへ行ったらよいのでしょう。私の肉体を死神がシッカリと捕まえてしまったのです。私の寝室には死が座っている。そして私がどこに顔を向けても死が待ち構えています。」(略)


ギルガメシュと船頭ウルシャナビは舟に乗った。(略)

ウトナピシュティムの妻は遥かなるウトナピシュティムに言った。

ギルガメシュは大変な苦労をしてここまでやって来ました。彼に何も与えないままで、国へ帰すのですか。」(略)


ウトナピシュティムはギルガメシュに向かって言った。

ギルガメシュよ、あなたは大変な苦労をしてここまでやって来た。 私は何もあなたに与えていないのに、国へ帰すわけにもいくまい。ギルガメシュよ、あなたに隠された事柄を明かそう。そして神々の秘密をあなたに話してあげよう。その根が藪のトゲのような草がある。そのトゲは野薔薇のようにあなたの手を刺すだろう。あなたがこの草を入手できたなら、あなたは不死の生命を手に入れることができる。」

ギルガメシュはこれを聞くや否や、取水口(深淵(アプスー)への入り口)を開き、重い石を自分の両足に縛り付けた。石が海(アプスー)の底へと引き込むと、そこにその草を見つけた。彼は草を取ったが、トゲは彼の手を刺した。彼は重い石を両足から外した。海(アプスー)は彼を岸辺へと押し返した。

ギルガメシュはウルシャナビに向かって言った。

「ウルシャナビよ、この草は特別な草だ。人間はこれでもって生命を新しくするのだ。私はこれをウルクへ持ち帰り、老人にそれを食べさせ、試してみよう。その草の名はシーブ・イッサヒル・アメール(注:「老いたる人が若返る」の意)という。私もそれを食べて若かった頃に戻るとしよう。」

(略)彼らは夜の休息をとった。するとギルガメシュは水が冷たい泉を見つけた。彼は水の中へ降りて行って水浴をした。一匹の蛇が草の香りに惹き寄せられた。水の中から忍び寄り、草を取った。戻って行く時に、抜け殻を残して行った。そこでギルガメシュは座って泣いた。彼の頬を伝って涙が流れた。彼はウルシャナビの手を取って言った。

「ウルシャナビよ。何の為に、私は苦労をしてきたのだろう。何の為に、私の心臓の血は使われたのだろう。私自身は恩恵を受けることができなかった。大地のライオン(注:の意)が恩恵を持っていってしまったもう二十ベールも、流れがあの草を運び去ってしまった。」(後略)

根が棘のような草。上の丸い方が根。円と十字を組み合わせた、「金星神=光明神」のシンボル。別名:アンク・生命の樹・薔薇十字。薔薇十字の場合は、円が薔薇の花本体で、十字が茎と葉にあたる。またこのシンボルからは、荊冠(円の部分)を被った十字架(十字の部分)上のイエス=キリストのイメージが派生する。
太陽と月が一つになった「金星神=光明神」のシンボル 「オーリオール(アウレオラ/アウラ)」。円環から発する細い光輝が棘にあたる。本来はこの「円環」のみで「金星神=光明神」を表すシンボルであった。

対応表

神・不死(もしくは長命) 悪魔・死(もしくは短命)
バナナ型神話 バナナ
日本神話
ギリシア神話
創世記 生命の樹の実 知恵の樹の実
キリスト教 (神に由来する)霊(スピリット=「Spirit」=「Spi-」=「星の光」=「尖ったもの・鋭いもの」=「三角形(の頂点)」/「針・棘」=「茨・薔薇」)・定めの時に目覚めていること[5]・イエスによる贖罪の身代わりを信じること 肉(肉体)・(同)眠って(盲目で)いること・原罪と罰としての死
グノーシス主義 (アイオーンに由来する)霊(光)・禁欲 (アルコーンに由来する)肉体・欲望
仏教 悟り(目覚め)・善業 煩悩(欲望)・悪業
神道 清浄 罪穢れ
ギルガメシュ叙事詩 世界の始まり(=終わり)の場所・時間・期間において、起きて(目覚めて)いること棘のある草を得ること (同)眠っていること・(同)得ないこと
伝統・習慣 年末(≒世界の終末)に神に自らの身代わりとして豚や羊などの生贄を捧げること・大晦日の夜から新年にかけての夜中(年越し)に起きて(目覚めて)いること・除夜の鐘を突き鳴らして煩悩を消すこと・茅の輪を携帯もしくは潜り、厄除け・罪穢れを祓うこと・火や水で清め浄化すること 左記をしないこと
サイエンスフィクション 珪素系生物・ロボット・自己進化型AI・純粋知性・トランスヒューマン人格のデジタルデータ化・脳インプラントブレイン・コンピュータ・インターフェース)・人類のボーグ 炭素系生物

出典

  1. ^『日本神話事典』 大和書房、1997年、pp.254-255。ISBN 978-4-479-84043-5
  2. ^山田仁史 「東南アジア・オセアニアにおける死の起源神話:《バナナ型》と《脱皮型》の分布に関する諸問題」『生と死の神話』 松村一男編、リトン〈宗教史学論叢 9〉、2004年6月、pp. 113-129。ISBN 978-4-947668-65-3
  3. ^大林太良 著 角川選書 『日本神話の起源』
  4. ^大林太良 『日本神話の起源』 角川書店1973年、pp. 223-230。
  5. ^気をつけなさい。目を覚まし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。(新改訳聖書 マルコの福音書13章33節)

関連項目

  • キリスト教における富 - 信仰(=石)と富(=バナナ)の二者択一。
  • 抱朴子 - 4世紀の中国の練丹術の理論書「抱朴子」には、次のようなことが書かれている。「草木は長く年月が流れると必ず朽ち果て土に還る。このようなものに不老不死の効能があるはずはない。しかし、金石は長い年月が経っても朽ち果てることはない。だから不老不死の効能は、金石の薬にある。」

バナナ型神話 - Wikipedia

It's, it's dual(双対) 五、何時出やる? ☤ヾ(╹◡╹o)ノ

M理論(Mりろん)とは、現在知られている5つの超弦理論を統合するとされる、11次元(空間次元が10個、時間次元が1個)の仮説理論である。尚、この理論には弦は存在せず、2次元の膜(メンブレーン)や5次元の膜が構成要素であると考えられている。

M理論 - Wikipedia

2⇔5 日光 10 ✝ Ⅹ

 

籠目籠女 籠の中の酉は 何時逸出やる 夜明けの晩に 弦と瓶が滑った 禹白の正面だあれ?

かごめかごめ

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千葉県野田市の歌詞に準じる。

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かごめかごめは、こどもの遊びの一つ。または、その時に歌う。「細取・小間取(こまどり)」「子捕り・子取り(こどり)」「子をとろ子とろ」とも言う[1]

「目隠し鬼」などと同じく、大人の宗教儀礼を子供が真似たものとされる[2]

 

概要

は目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。歌が終わった時に鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。各地方で異なった歌詞が伝わっていたが、昭和初期に山中直治によって記録された千葉県野田市地方の歌が全国へと伝わり現在に至った。 野田市が発祥地といわれることから、東武野田線清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建立されている。

歌詞

地方により歌詞が異なる。

  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀滑った 後ろの正面だあれ?
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀滑った 後ろの正面だあれ?
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもお鳴きゃぁる(お鳴きやる) 八日の晩に 鶴と亀が滑ったとさ、ひと山 ふた山 み山 越えて ヤイトを すえて やれ 熱つ や(お灸を据えて、やれ熱や)
  • 籠目籠目 加護の中の鳥居は いついつ出会う 夜明けの番人 つるっと亀が滑った 後ろの少年だあれ?
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だぁれ?
  • かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出会う 夜明けの番人 鶴と亀が滑った 後ろの少年だあれ?

なお、文献では、このかごめかごめは江戸中期以降に現れる。『後ろの正面』という表現は、明治末期以前の文献では確認されていない。さらに、『鶴と亀』『滑った』についても、明治以前の文献で確認されていない。

現存する文献

「竹堂随筆」
竹堂随筆(ちくどうずいしゅう):文政3年(1820年)頃に編纂)[3]
浅草覚吽院に住した修験僧「行智」の編んだ童謡集で、宝暦・明和年間(1751年 - 1772年)頃に収録された童謡集
「かァごめかごめ。かーごのなかの鳥は。いついつでやる。夜あけのばんに。
つるつるつっぺぇつた。なべのなべのそこぬけ。そこぬいてーたーァもれ。」
「戻橋背御摂」
戻橋背御摂(もどりばしせなのごひいき):文化10年(1813年)、江戸市村座で初演された歌舞伎芝居
鶴屋南北の作で、芝居に取り入れた子供の遊び唄。戻橋背御摂に関しては大南北全集(春陽堂)、鶴屋南北全集(三一書房)などで確認できる。
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつっはいた」(大南北全集)
「かご目かご目篭の中の鳥はいついつ出やる、夜明けの晩につるつるつるはいつた」(鶴屋南北全集)
「月花茲友鳥」
月花茲友鳥(つきとはなここにともどり):文政6年(1823年)、市村座で初演された浄瑠璃
清元全集(日本音曲全集刊行會)、日本歌謡集成(春秋社)などで確認できる。
「かごめかごめ籠の中の鳥は、いついつ出やる、夜明けの晩に、つるつるつるつゝぱつた」
「幼稚遊昔雛形」
幼稚遊昔雛形(おさなあそびむかしのひながた):天保15年(1844年)に刊行された万亭応賀編の童謡童遊集
「かごめ かごめ かごのなかへ(の)とりは いついつねやる
よあけのまえに つるつるつッペッた
なべの なべの そこぬけ そこぬけたらどんかちこ そこいれてたもれ(孫引き)」
「俚謡集拾遺」
俚謡集拾遺(りようしゅうしゅうい):1915年大正4年)刊行
1905年明治38年)、文部省により各都道府県から集められ、1914年大正3年)に刊行された「俚謡集」に収録されなかったものを集めたのが俚謡集拾遺である。
「籠目かごめ、籠の中の鳥は、いついつでやる、夜明けの晩に、ツルツル辷(つ)ウベッた。」(東京)
「籠目かごめ、籠の中のますは、何時何時出やる、十日の晩に、鶴亀ひきこめひきこめ。」(長野県)
「かごめかごめ、籠の中の鳥は、いついつ出やる、よあけの晩げつゝらつゥ」(新潟県)

「かごめかごめ」に関する俗説

この歌の歌詞が表現する一風変わった(ある意味神秘的な)光景に関しては、その意味を巡って様々な解釈がある。ただ、『鶴と亀』以降の表現は明治期以降に成立したと思われるため、それらの解釈に古い起源などを求めることは困難である。また、この歌の発祥の地についても不詳である。

姑によって後ろから突き飛ばされ流産する妊婦や、監視された環境から抜け出せない遊女徳川埋蔵金の所在を謡ったものとする俗説などがある。

歌詞の解釈

解釈に際しては、歌詞を文節毎に区切り、それぞれを何かの例えであると推定し、その後で全体像を論じる形をとっているものが多い。以下に一部を紹介する。

「かごめ」

  • 籠目、すなわち竹で編まれた籠の編み目を表す。
  • 囲め」が訛ったもの。つまり、かごめ遊びをする際に、皆で「囲め、囲め」と呼び合っている。
  • 屈め」が訛ったもの。つまり、かごめ遊びをする際に、オニに対して「屈め、屈め」と言っている[4]
  • 籠目の形、すなわち六角形のことである。
  • 籠目の形、すなわち六芒星のことである。
  • 籠女」と書き、見た目が籠を抱いているような女性、すなわち妊婦のことである。
  • 「籠女」と書き、籠=子宮であり、すなわち妊婦のことであり、「聖母マリア」のことである。
  • カーゴ(Cargo)」に乗る役
  • 処刑場を囲んだ竹垣を表している。
  • 「かごめ」は「神具女」(かぐめ)若しくは「神宮女」(かぐめ)である。即ち、神の雰囲気を具える女、日本で古くから厚く信仰されていた祈祷を行う「巫女」(ミコ、預言者)や「斎宮」の意味である。

「かごのなかのとり」

  • 「籠の中の鳥」であり、当時の風俗から考えて鳥はである。
  • かごめ遊びの中で、オニとなった人を「籠の中の鳥」に喩えている。
  • 籠の中の鳥居」と解釈し、籠に囲まれた小さな鳥居、もしくは竹垣に囲まれた神社を表している。
  • ある点を籠目の形六角形または五芒星)に結んで出来た図形の中心に存在する物を指している。
  • 籠目の形をした空間の中心に存在する物を指している。
  • 籠女(妊婦)の中にいるもの、つまり胎児のことを指す。
  • 「籠=子宮」の中にいる、つまり「」のことを指し、聖母マリアの子である「イエス・キリストルシファー」を指している。
  • 子供のことである。
  • 「とり」=トリをとる。祭り等で、最後の締めをやる人。最後尾に就いて、取り溢しが無いように皆を追い上げて、締めをする人。
  • 処刑されることが決まっている牢屋の中の罪人

「いついつでやる」

  • 何時、何時、出会う」であり、「何時になったら出会うの?」「いつになったら出て来るの?」と疑問を投げかけている。
  • 何時、何時、出遣る」であり、「何時になったら出て行くの?」と疑問を投げかけている。
  • 「何時、何時、出遣る」であり、「何時になったら出て行けるの?」と疑問を投げかけている。
  • 「何時、何時、出遣る」であり、「いつ、出現するか?」「いつ、出て来るのか?」と疑問を投げかけている。
  • 何時、何時、出やる」であり、「救世主は、いつ出現・降臨するのか?」と疑問を投げかけている。
  • 「何時、何時、出やる」であり、「何時になったら出るのかな?」と疑問を投げかけるのであるが、「出やる」の「やる」は西日本で、目下の者や愛玩動物に対して親しみを込めて使う敬語的語彙であり、共通語で的確な訳語がないが、出やがる」に親しみのニュアンスを持たせたとでも云うべき意味を持つ。
  • 「何時、何時、出遣る」であり、「罪人が処刑されるために)いつ(牢屋の外に)出て来るのか?」と疑問を投げかけている。

「よあけのばんに」

  • 夜明けの晩」つまり「夜明け=夜の終り、朝の始まり」「晩=夕暮れ、夜」であり、「真夜中過ぎ」を指している。
  • 夜明けの番人」であり、籠の中の鳥、つまりのことである。
  • 「夜明けの晩に」は「夜明けから晩に至るまで」という意味であり、「朝早くから夜遅くまで」という時間の経過を表している。
  • 「夜明けの晩」つまりは光を見る前であり、胎児からの視点では臨月に当たる。
  • 「夜明け」は夜が明けたときで、「晩」は夜のこと。つまり「夜明けの晩」とは「存在しない時間」のこと。
  • 夜明け」は「始まり」で、「」は夕暮れ=黄昏(たそがれ)=「終わり」のこと。つまり「夜明けの晩」とは「夜明けでもあり晩でもある時刻(世界の)始まりでもあり終わりでもある(歴史上の)時刻」のこと。「アルファでありオメガである」。あるいは、「夜明け」という一定の期間の「晩=終わり」でも意味は通じる(後千年王国説)。
  • 「夜明けの晩」つまり「夜明け」の「晩=終り(朝が始まりなら晩は終り)」であり、「夜が明ける終りの部分」つまり「日の出日光を見る(日光東照宮の方向を見る」を指している。
  • 「夜明けの晩」つまり「夜明けとも言える晩」であり、午前4時前後の時間帯を指している。

「つるとかめがすべった」

  • 鶴と亀が滑った」であり、縁起の良い象徴の2つが滑るということで、吉兆(もしくは凶兆)を表している。
  • 鶴と亀が統べた」であり、鶴および亀に象徴される為政者(または建造物)を表している。
  • 「鶴と亀が統べった」であり、鶴および亀に象徴される為政者が、「統治した」と「滑った」を掛けてある。
  • 「鶴と亀が統べった」であり、は「太陽は「太陰(≒を象徴し、「太陽」上向き三角形)と「太陰(≒月)」(下向き三角形)が統べる(=統合・統一されるという意味である。
  • 京都に伝わる童謡の歌詞つるつる つっぱいたが変化したもので、ずるずると引っ張ったという意味である。
  • 清元節浄瑠璃「月花茲友鳥」より、「つるつるつるつっぱいた」が変化したもので、するすると突っ込んで入っていったという意味である。
  • 鶴と亀が滑った」であり、長寿の象徴である2つが滑るということで、を表している。
  • を統べるで明智光秀が統治。
  • 「鶴と亀」とは、日光東照宮御宝塔(御墓所の真前に(側近くに)置かれている(飛ぶ=)」と(泳ぐ=)」のことであり、徳川家康の側近つまり天海が「統治する(陰で操る)」という意味である。
  • 「鶴と亀が滑った」であり、長寿の象徴の2つが滑るということで、罪人の命運が尽きること(=処刑されること)を表している。

「うしろのしょうめん だあれ」

  • 「後ろの正面」は、真後ろを表し、「真後ろにいるのは誰?」と問うている。
  • 「後ろの正面」は、真後ろを表し、「真後ろにいるのは誰?」と問うている。しかし、そもそも振り返らずに後ろなど見えるはずが無い。頭の後ろ側に「目」は無いのだから。頭の前側にある「二つの目」に頼っていては見えるはずが無い。その上で問うているわけである。見えないものをみろと。つまりこの時、普通であれば(=二つの目では)見えないもの(物・者・存在・世界)が観えるのである。
  • あるいは、もっと直接的に、「夜明けの晩に」が「夜明けでもあり晩でもある(時刻)」を指すとすると、同様に、「後ろの正面」も「後ろでもあり正面でもある(存在)」を指すのかもしれない。とすれば、歌全体が謎かけであり、「誰?」はその前の歌詞全体(「誰?」の性質)にかけられるべきものであり、「後ろの正面」(性質のひとつ)と「誰?」は分けるべきではないだろうか。
  • 「後ろの正面」は」の背面(背中側)を指す。
  • 「後ろの正面、誰?」は、「後ろを向いた時に正面に居る人は誰?」との意味。転じて、逆の存在影の指揮者取り憑いていた存在等を表す
  • 江戸時代、京都で「正面」と言えば方広寺大仏殿を指し、正面の後ろに葬られた人物(豊臣秀吉)を連想させている。
  • 斬首された首が転がって、体は正面を向いているけれど首が後ろを向いて、「私を殺したのは誰?」と問うている
  • または、死んだことに気付かず目の前の首がない体は誰のものだろうと疑問に思っている様子を表している。
  • ただし、この「しょうめん」の部分の歌詞は、一部の地域ではしょうねん(少年)」とする場合もある。
  • 「後ろの正面」は、真後ろを表し、「(罪人の首を斬るために)真後ろに立つのは誰?」と尋ねている。
  • 明智光秀の出身地(岐阜県可児)から日光(日光東照宮)[5]の方向を向くと、「後ろの正面」はちょうど、日本で唯一明智光秀肖像画を所蔵している本徳寺[6] がある大阪府岸和田市貝塚市)になる[7]

歌全体の解釈

「かごめかごめ」その歌詞の多義性、論理のおかしさ、普通ではなく合理的でない所が、人間の類推の能力に働きかけ、聞く人を楽しませる、面白味のある言葉遊びの歌として日本中に流行したとする説。
主に女児の遊ぶ「かごめかごめ」は、歌の冒頭で一人の目の見えない状態の女児を複数の女児が取り囲み「かごめ かごめ」と囃し立てるところから始まる。ここでの「かごめ」は、「囲め」と「籠のなかの女」と「格子状で隙間のある籠目」等の複数の意味を持つ多義語となっている。次に「かごのなかのとりは」で、冒頭の「かごめ」の意味を「鳥類のかもめ」[8]の意味へ一転させ、取り囲まれた女児を「鳥が囲まれている(とりかこまれている)」「籠の中の鳥」等と意味付けている。次に「いついつでやる」で、「鳥はいつ籠から出ていくのか」「答え合わせはいつだろう」という期待感を持たせると同時に「鳥が誰かと会う」ことを隠喩し、多義性を持たせている。次に「よあけのばんに」で「夜が明けた晩」という矛盾、「朝と夜の順序が逆」という倒置を用い、疑問と混乱を誘うおかしみを出している。そして「つるとかめがすべった」で、「鳥は鶴だった」と「かもめ」から一転させ、「鳥が出会ったのは亀であった」という拍子抜けを誘い、「縁起の良い鶴と亀が滑って転んだ」という失敗への隠喩を持たせ、最後に「うしろのしょうめんだあれ」で「後ろなのに正面」という矛盾、「誰が真後ろにいるかを当てて頂戴」という多義性を持たせている。
元々児童遊戯の歌として成立したとする説(国語辞典などが採用)
籠の中の鳥=オニであり、「囲め、囲め、オニの人は何時になったら次の人と交代して出て来ることができるのでしょうか。後ろの正面は誰?」と解釈する。ただし「鶴と亀がすべった」の部分については「語呂やリズムを合わせる為」と曖昧にしているものが多い。
遊女説(提唱者不明)
一日中(夜明けの晩に)男性の相手をさせられ(鶴と亀が滑った)、いつここから抜け出せるのだろう(いついつ出やる)と嘆いているうちにもう次の相手の顔(後ろの正面だあれ)が見え隠れしている、という自由のない遊女(籠の中の鳥)の悲哀を表している。
日光東照宮説(提唱者不明。埋蔵金と結びつけてテレビ番組等で紹介されている)
日光東照宮の三神庫と呼ばれる建築物群や奥院には鶴と亀が対になって飾られている所があり、歌詞中の「鶴と亀が統べった」はこの彫刻を指しているとしている。
豊國廟説宮本健次など)
正面とは京都の豊国神社周辺(現在の正面通り)を指し、徳川家康を神格化する際に邪魔となった豊臣秀吉を神の座から引き摺り降ろす為に行われた、豊国神社の打ち壊しと、秀吉の棺を掘り返して庶民と同じ屈葬にして埋め直した事件を表したものである。
芦名埋蔵金説(提唱者不明)
「鶴と亀」はそれぞれ芦名家の城の別名であり、埋蔵金の隠し場所を示している。
陰謀説(提唱者不明)
「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。
キリスト待望説(提唱者不明)
隠れキリシタンが救世主を待望する歌。
「金星神=光明神」のシンボル 「オーリオール(アウレオラ/アウラ)」

ああ 聖母マリア聖母マリア
あなたの御腹の中におられる 光り輝く不死鳥 光の御子 イエス=キリストは
いつ再臨されるのでしょうか

それは世界の始まりと終わりのとき
そのとき 太陽と月は一つとなり
あなた方の「目」が開け それまで見えなかったものが みえるようになるでしょう

— 超意訳
謎かけ説(提唱者不明)
上記を内容は同じに謎かけ風に。
Janus-Vatican.JPG

皆様に謎々です。

その者は、今は未だ、聖なる母の御腹の中におられる、光り輝く不死鳥、光の御子であり
その者は、世界の終わりに生まれ、世界の始まりに死ぬ御方であり
その者は、明けの明星。すなわち太陽と月が一つとなった御方であり
その者は、後ろでもあり正面でもある御方です。

さて、その御方とはいったい誰でしょうか?

— 答え:イエス=キリスト
囚人説(提唱者不明)
かごめは、籠つまり牢屋を指していて「籠め籠め」と牢屋に聞いている様。籠の中の鳥=オニは囚人である。鶴と亀が滑った=縁起の良くないこと、つまり脱走や死刑を表す。後ろの正面だあれ=死刑囚を呼びにきた監視、又は脱獄の手助けをするもの。いったい誰が来るのか? どんな運命になるのか? という説である。
明智光秀南光坊天海同一人物説岩辺晃三
南光坊天海の正体が、山崎の戦いに敗れた後も生き延びた明智光秀であることを示唆しているとする説[9]。鶴と亀には、日光東照宮の彫刻の他に敦賀亀岡の意味もあるとする。ただし前述のように、「鶴と亀」の部分が明治期以前に存在していたことを示す文献は確認されていない
神示説(提唱者不明)
「かごの中の鳥」は「肉体に自己同化し、肉体に閉じ込められた人「いついつ出やる」は「いつになったら肉体が自分でないことに気づくのか「鶴と亀がすべった」は「陰と陽が統べった」即ち「目覚めた」ときに、「うしろの正面だあれ?」=「自分」とは誰なのでしょう?という意味の、人の精神的目覚め・開悟を歌っているとする説。

歌詞解釈以外の俗説

降霊術
「カゴの中の鳥は」と歌っているところで円の中に人がいなければ霊を呼び出すという、コックリさんと同様の交霊術に使われる歌であるという説もある。
呪術
真ん中の子供に神様を宿らせるまじないであったとする説。
遊戯
影の支配者を当てる遊戯

出典・脚注

  1. ^広辞苑-第五版』、岩波書店
  2. ^柳田國男 『民間伝承論』 共立社、1934年、181頁。
  3. ^原書は活字に起こされ「続日本歌謡集成」東京堂出版(1961年昭和36年) - 1964年(昭和39年))にて出版。
  4. ^この説をとるものとして、例えば、柳田國男「こども風土記」がある(定本柳田國男全集21巻8頁)。
  5. ^日光の輪王寺慈眼堂には天海の廟所がある。
  6. ^もと貝塚市鳥羽にあった海雲寺が、岸和田藩主岡部行隆の命で現地に移され、寺号も本徳寺と改められた。
  7. ^「陰謀と暗号の歴史ミステリー」平成20年4月15日発行 SAKURA MOOK33 編集発行人 西塚裕一 発行所 株式会社笠倉出版社
  8. ^http://www.hrr.mlit.go.jp/takada/gakusyu/field/hime/hime055.pdf
  9. ^岩辺晃三 『天海・光秀の謎―会計と文化』 税務経理協会、1993年2月。ISBN 4-419-01801-1

参考文献

関連項目

かごめかごめ - Wikipedia

🔯✡66 K 51 ✝ⅤⅤ

ΑΩ星(天狼星 金星)

劔(弦氣 蔓瓶 火水 ✡★ 日月)

西 卯東 π

Remember11 -the age of infinity-』(リメンバーイレブン ジ・エイジ・オブ・インフィニティ)は、KIDより発売されたサスペンスアドベンチャーゲーム

概要

無限に繰り返す時間の中、閉鎖空間からの脱出を図るinfinity』シリーズの第3作。前作までは恋愛アドベンチャーゲームだったが、このジャンル独特の制約をはずすために本作品はサスペンスアドベンチャーとされ[1]、前2作にはあまり見られなかった残酷描写やグロテスクな表現が多く描かれている。ギャルゲーではなくなった理由には女性ユーザーへのアピールという面もあり、前作までと比べてユーザーの女性比率が高くなった[2]

非常に難度が高いため「前衛的」と言われたり[3]、未完の作品として厳しい評価を下されることもあるが[4]、謎解きを好む層もおり「これがいい[3]」という意見もあった。

ストーリー

2011年1月11日稚内行きの飛行機HAL18便の機内で、冬川こころ楠田ゆにと知り合う。だが彼らの乗った飛行機は青森県の南八甲田朱倉岳に墜落する。

もうひとつの舞台である北海道の青鷺島に位置するスフィアでは、1月11日午後4時、優希堂悟が屋上の時計台にいた。しかし、突然彼は謎の影に追われ、時計台から転落する。

Remember11 -the age of infinity- - Wikipedia

tacchan.hatenablog.com

(解く蛇 RNA) プレセペ✄ 🐰🐰 ☯

 

正65537角形は ほとんど真円

切頂二十面体

切頂二十面体

切頂二十面体(せっちょうにじゅうめんたい、truncated icosahedron)、または切頭二十面体(せっとうにじゅうめんたい)、切隅二十面体(せつぐうにじゅうめんたい)とは、半正多面体の一種で、正二十面体の各頂点を切り落とした立体である。また、一般的なサッカーボールは、この立体に空気を入れて、に近づけたものである。

  • 構成面:正五角形12枚、正六角形20枚
  • 辺:90
  • 頂点:60の各頂点に、正五角形1枚と正六角形2枚が集まる。
  • 双対多面体五方十二面体
  • ワイソフ記号:2 5|3
  • 表面積:一辺をとすると 
  • 体積:一辺をとすると 
  • 外接球半径:一辺をとすると   ( は 黄金比)

関連項目

切頂二十面体 - Wikipedia

六万五千五百三十七角形

正65537角形を描くように Scalable Vector Graphics で記述したものの出力結果。ほとんどと見分けが付かない。

六万五千五百三十七角形(ろくまんごせんごひゃくさんじゅうしちかくけい、ろくまんごせんごひゃくさんじゅうななかっけい)は、多角形の一つで、65537本のと65537個の頂点を持つ図形である。内角は11796300°、対角線の本数は2147450879本である。

特筆すべきは、正65537角形は定規とコンパスによる作図が可能、ということである。以下、正65537角形について記述する。

性質

正65537角形の形状は、の数が非常に多いためほとんど真円と見分けが付かない。正65537角形の中心角と外角の大きさは

である。半径 1 の円に内接する正65537角形の面積は、

で、円の面積である円周率に極めて近い。一辺の長さは

である。例えば、200メートル四方のグラウンドにできるだけ大きく正65537角形を描いても、一辺の長さは1センチメートル弱(約9.59ミリメートル)しかない。

作図可能性

65537 は  の形で表され、知られているうちで最大のフェルマー素数である。カール・フリードリヒ・ガウス1801年に出版した『整数論の研究』において、p がフェルマー素数ならば正 p 角形は定規とコンパスで作図可能であることを証明した。また、逆に、奇素数 p に対して正 p 角形が作図可能ならば、p はフェルマー素数であることも証明した。知られているフェルマー素数は、ガウス以前から

のみであり、これで全てであろうと予想されている。

正65537角形がコンパスと定規で作図可能であることは、1の原始65537乗根(のひとつ)

の実部と虚部が共に、有理数から始めて四則および平方根を取る操作を有限回組み合わせて表現できることを意味する。

作図法

ガウスは結果的に正65537角形が作図可能であることを証明したが、具体的な作図法を与えたわけではない。もっとも、その証明および背景をよく理解すれば、原理的には作図法を導くことができるが、それは膨大な作業である。ドイツのヨハン・グスタフ・ヘルメスは、10年の歳月をかけて正65537角形の作図法を調べ、1894年に計算の要旨のみの報告を雑誌に発表した[1]。200ページを超える原稿は、ゲッティンゲン大学に保管されている[2]

遠山啓『数学入門』には、正65537角形の作図がいかに膨大な作業であるかを表現したと考えられる、正65537角形の作図法を調べた人物についての、伝説的な逸話が紹介されている。

参照

  1. ^Hermes, Johann Gustav (1894). “Ueber die Teilung des Kreises in 65537 gleiche Teile”(German). Nachrichten von der Gesellschaft der Wissenschaften zu Göttingen, Mathematisch-Physikalische Klasse (Göttingen) 3: pp. 170–186.
  2. ^淡中忠郎フェルマー数物語」、『数学セミナーリーディングス 数の世界』数学セミナー増刊号、日本詳論社、1982年9月、 68–70。

関連項目

六万五千五百三十七角形 - Wikipedia

フォトン度 深淵 (╹д╹;) ???