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TIME ARTs

たいまつ

たいまつ。イギリス南部、ルイス(Lewes)で、11月5日ガイ・フォークス・ナイトに、徹夜で行われるたき火祭りで使われるもの
大松明。近江八幡市八幡まつりで使われるもの
たいまつ(トーチ)。の棒に布を巻いて作ったもの
自由の女神像とたいまつ
ルイスのガイ・フォークス・ナイトの風景

たいまつ松明、炬火、トーチ、英語:torch)は、明かりとして使うために、手で持てるようにしたのついた木切れなどである。通常、長い棒や竿(さお)などの突端に、枯れ草や、松脂など燃えやすいものに浸した布切れを巻きつけたものである。

西洋の教会など石造りの建物や地下室では、電気のない時代、廊下や部屋に明かりを投げかけるために、壁の高いところに腕木で突き出させた燭台(sconce、突出し燭台)にたいまつを挿すこともあった。

たいまつを使って夜を照らしたり神聖な火を運ぶという神事火祭りは世界各国に見られるまた、夏などにたいまつで田畑の上を飛ぶ害虫を焼く「虫送り」「虫追い」なども行われていたが、これも後に農作業から火祭りへと取り入れられ、火祭りに五穀豊穣、火除け、虫除けなどの意味が付される場合もある。

日本語の「たいまつ」の語源は、「焚き松」や「手火松」など諸説ある。

神事のためのたいまつ

たいまつは、祭りなどの神事で、夜間の照明や、神聖な火を運ぶものとして使われることもある。夜間の参道を照らしたり、参拝者がたいまつを掲げて行列を組み神社などへ練り歩いたり、燃えやすいなどの木ぎれを組んで作られた祭事用の「大松明」に火をつけて夜を照らしたり下界へ走り抜けたりするなど、たいまつを使った様々な「火祭り」が行われる。同様に火を使う儀式には送り火灯籠流しなどもある。こうした夜を徹する神事や、神々や死者などへささげるためのたいまつの使用は、日本に限らずアジアや古代ヨーロッパやギリシャ・ローマなど、世界各国のあらゆる民族に共通して見られる

神聖な火を運ぶたいまつ(トーチ)で世界的に有名なものは、オリンピックの際、採火から閉会式まで消さない聖火ギリシャから各国、開催国内をリレーして走る際にも使われている聖火リレーのトーチである。このトーチは、聖火リレーと同じく1936年ベルリンオリンピックから導入された。

オリンピック以外のスポーツイベントでもトーチが用いられることがある。市販のものには内部に専用カートリッジを備えたものもあり火煙式トーチと発煙式トーチがある。

たいまつには、昭和23年に大麻取締法が強化されるまでは麻木おがらが使われていたが、現在はほとんど麻木は使われていない。麻木をたいまつに使っている神社は全国で2社だけとなった[要出典]

なお、一般神社で儀式で用いるたいまつは、ヒデ(松の芯の、特に脂分が多い部分)を一緒に束ね、数か所を縛り、手元を和紙で巻いたものを用いる事が多い。その扱い方は行列の場合、吉事には火を列の内側に、凶事は外側に向ける。また神道では、たいまつの事を単に「マツ」とも呼ぶ事も多いところで、神社では、野外用を松明(たいまつ)と称し、屋内用を脂燭(ししょく・しそく)と言う。これは、松の「ひで」の脂に点火するので、その名がある。松の棒の手元の部分を紙で巻いたものを紙燭(ししょく)と言う[3]。紙燭の作り方については一定ではなく様々な様式があり、スギの芯やマツの小枝も用いられた[4]。これらは、夜間の神事等で屋内の通路を照らすのに使用する。なお、脂燭の使用法などは平安時代の「令義解」にも記されている。また、脂燭のさし方は松明と同様である[5]

水中用のたいまつ

たいまつの火をつける部分に硫黄石灰を混ぜたものを使用すると、の中に入れられた後でも炎が消えないたいまつが出来上がる。こうしたたいまつは古代ローマで用いられた

忍者火薬を応用したたいまつを用いており、これを忍び松明」「水松明と呼び、筒に火薬をつめたもので、水に潜らせても火が消えないとされる。現存するものとして、全長約70センチ、太さ7センチ、竹の皮で覆い、の把手があり、柄には文化12年の墨書も見られる[6]。また、軍事面では、たいまつは放火する際の火種となった[7]

水中用たいまつについては兵法書にも見られ、上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた書)巻四「戦法」の中の「用火の秘方」において、「水中、豪雨、火無くしてともす炬(たいまつ)の秘方」の記述があり、薬品を竹炬の中に包むなど忍者が用いた水松明と類しており、「水に付けてしばらくして上げると火がつき」、これを不知火という秘方」であると記している。

ジャグリングのためのたいまつ(トーチ)

ジャグリングトーチは、トスジャグリングの道具として用いられる。トーチはジャグリングの間、空中に投げ上げられては受け止められまた投げられるということを繰り返す。ジャグリングナイフクラブを投げるのと方法は同じだが、トーチの放つ音火の残像が観客により強い印象を与える。しかし火を使うことは危険であるため、素人には困難なジャグリングであり、熟練したジャグラーでもめったに火傷することはないとはいえ注意を要する。

パフォーマンスとしてのたいまつ(トーチ)

キャンプファイアなどにおいて行われる火を使ったパフォーマンス。

シンボルとしてのたいまつ

たいまつ(トーチ)は、「闇を照らす」「世を照らす」ことを象徴する一般的なエンブレムである。たとえば右手にたいまつを持つ自由の女神像の正式名称は「世界を照らす自由Liberty Enlightening the World)」である。下向きにして交差させたたいまつは古代ギリシア古代ローマによく見られる喪のしるしであった。下を向いたたいまつはを象徴し、一方、上を向いたたいまつは再生する炎の力を表しの象徴であった。

闇を照らすトーチは政治結社政党などのシンボルにも使われる。イギリス保守党のロゴにはたいまつを持つ手があしらわれ、同じくイギリス労働党1983年までのマークでは農民を意味するにたいまつをクロスさせていた。ザイール国旗にも革命や自由を表すたいまつを持つ手が中央に置かれていた。

カトリック教会でのたいまつ

カトリック教会では長い歴史の中で、一度ミサや儀式で用いたものは安易に使用をやめないという伝統があった。もともと、たいまつはミサの奉納時に照明をおこなうためだけのものだったが、荘厳ミサにおいて欠かせないものとなり、重要な役割を果たすようになった。

エイドリアン・フォーテスキュー(Adrian Fortescue)の1912年の著書『ミサ:ローマ典礼に関する研究』("The Mass: A Study of the Roman Liturgy")によれば、ミサにおけるたいまつのより正しい形式は、自立式でない、誰かが支えないとならないものであった。しかし今日では、バチカンでの荘厳なミサですら、たいまつを用いることはなく、自立式の燭台に挿した背の高いろうそくを用いている。こうした照明はたいまつ持ちに運ばれ、サンクトゥスが歌われるときに祭壇に運ばれ、聖体拝領が終わると片付けられる。

聖公会の中のハイ・チャーチ(高教会)や、ルーテル教会の一部には、たいまつを礼拝の中に使うところもある。

トーチランプ

建設現場で「トーチ」と言えば小さな手持ち式の熱い炎を出すバーナーで、酸素アセチレン(またはプロパン)を燃料とし、など金属の切断や溶接するために使われるものである。

脚注

  1. ^複数の文献に同様の記述あり。草川昇(2003年9月)『語源辞典 名詞編』東京堂出版ISBN 9784490106282 や 日本史用語大辞典編集委員会(1978年12月)『日本史用語大辞典 第1巻』柏書房 など。
  2. ^『神社有職故実』46頁 昭和26年7月15日 神社本庁発行。
  3. ^「たいまつ」小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)、金箱正美
  4. ^「たいまつ」小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)、金箱正美
  5. ^『神社有職故実』全129頁46頁 昭和26年7月15日 神社本庁発行
  6. ^伊賀町史』 1979年 pp.254 - 255. p.255に写真あり
  7. ^一例として、『土佐物語』巻第十二討死の事」において、三滝城の「二の丸より投げ松明を、投げ入れ、投げ入れ、本丸を焼き立つる」という記述がある。

関連項目

たいまつ - Wikipedia

赤目極楽寺 おたいまつ調進行事|K's PLAZA

お祭りガイド

 

赤目極楽寺 おたいまつ調進行事 法要:3月10日、寄進3月12日

実は1年前から準備しているんです。「お水取り」のもうひとつの主役「松明」の作り手たち
 
 
「松明を作り、毎年二月堂修二会に献上せよ」。遺言を守って700年
奈良県との県境に位置する名張市に一ノ井という集落がある。ここに意外な伝統行事が伝わっている。奈良県東大寺二月堂で、1200年以上続いている修二会(お水取り)をご存知だろうか。「大和に春を呼ぶ行事」とされる祭りだが、この修二会のひとつの呼び物が「お松明」の行ない。童子と呼ばれる人が、大きな松明を担いで、東大寺二月堂の舞台を走り抜けると、松明の先から火の粉が滝のように舞い落ちる勇壮なものである。この松明を作り、納めているのが、ここ一ノ井なのである。言い伝えによると、土地の道観長者が晩年、私有の田地を東大寺に寄進し「その作得(小作米)をもって松明を作り、毎年二月堂修二会に献上せよ」と遺言したことに始まるという、お松明奉納の一連の行事は、もう700年以上も絶えることがない。

松明を作っている極楽寺ってどんなお寺?
まず、松明が作られる極楽寺についても紹介しておこう。伊賀四国八十八ヵ所の第50番の極楽寺の創建は古く、『伊水温故』「旧記に本堂七間に六間、萱葺」と の記述を見ることができるという。現在の本堂は明治21年12月に造営されたもので、その天井は 名張・藤堂家の大広間部材を買い受けて移築したものであるとい う。本尊は不動明王。小体な山門とが慎ましやかな山あいのお寺である。寺宝には、正徳2年表装寄進の裏書をもつ涅槃画像や、江戸中期頃まで 当寺本尊であった阿弥陀如来像、『三国地志』にも「画像三鋪あり。明琢筆するところ、印板といえども至って古雅なり」と謳われた不動明王印板が数えられる。

いよいよ松明奉納までの段取りです。くじびきから始まって、二月堂へ運ぶまで
毎年、一ノ井の「松明講」(古くは松明組)と呼ばれている人たちのうちから「年番」と呼ばれる担当者を決めることから調進はスタートする。前年の1月18日、くじ引きで5名の松明衆が選ばれる。その後、2月11日<松明用桧の伐木>では、早朝8時頃、5名の松明衆と極楽寺の住職と講長の7人が斎戒沐浴して桧山の松明山に行き、伐木する樹齢約80年の桧に住職が読経をしたあと、伐り取り極楽寺まで運ぶ。そして引き続き<松明調整>。極楽寺の境内本堂前に筵を敷き、その四隅に竹を立て、しめ縄を張った中で、桧を細かくして、2本の松明を作る。松明の形、数、くくり方などは古くからの習わしに則られている。少し時間をおいて-これは松明を自然乾燥させるための時間である<松明調進法要>が執り行われるのは3月10日。 講衆全員と九郷の僧侶らが極楽寺に集まって法要を行なったのち、3月12日、晴れて<松明寄進>の日となる。手作りの巨大な松明は、年番により東大寺二月堂へと運ばれて行くのである。昔は早期の3時ごろ極楽寺を出発し、徒歩で奈良へ向かったが、現在は少し歩いたあとは車で移動するようになった。ここで、修二会に詳しい人なら「おや?」と思ったかもしれない。「たしか修二会のお松明は3月1日~14日までだったはず。12日に運び込んだのでは間に合わないではないか?」。実はその通り。松明は、翌年の修二会の第12日目に、内陣で使用されるためのものなのである。

感謝のしるし。二月堂ではこんな特別扱いが
東大寺へ松明を寄進するのは、唯一ここ名張一ノ井からからだけで、古くは公の行事と考えられていたようだ。二月堂内には「一ノ井の間」と いう特別の参籠所が設けられていることからも、いかに一ノ井の松明調進が熱心なもので、また寄進を受ける東大寺もひとかたならない感謝をしていたことが伺える。

この文章は平成14年1月現在作成
開催場所等については変更される場合もありますので、お問い合わせされることをお勧めします。