隻眼
隻眼(せきがん)もしくは独眼(どくがん)とは、片側の目そのものや視力を失った身体障害の状態をいう。病気(腫瘍など)の内因の他、事故や戦闘中の負傷など外因、奇形による先天的な要因の場合もある。外因により視力を失った際、多くは反対側の眼にも失明を及ぼすため、片目を喪失した者のうちで隻眼となるのは多数ではない。失った目が、右目でも左目でも同じように呼ばれる。
目が失われたために義眼を入れたり、眼帯などで隠し、自らの威厳の誇示を兼ねることがある。「隻」とは「
対 になっている物の片方」を数えるときに用いる助数詞である。隻眼の著名人
ここでは、なんらかの著名性または重要性があると思われる(日本でのみ有名、なども含む)隻眼の著名人を列挙する。隻眼といわれているだけで実際にはそうではなかった人物や、隻眼でなかった可能性のある人物も含む。
なお、漢字文化圏において、隻眼と関連性の高い「眇(すがめ)」という語があるが、「片眼が極端に小さいこと」を意味するほか、斜視のように隻眼に該当しない別の語義も複数あるため、この語が史書等に記されていることのみで事実認定されているわけではなく、事実認定されるものではない。
- ピリッポス2世(前382年 - 前336年) - アルゲアデス朝マケドニアの国王で、アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の父。
- アンティゴノス1世(前382年 - 前301年) - アルゲアデス朝マケドニアの将軍で、アンティゴノス朝マケドニアの創始者。
- アンティゲネス(? - 前316年) - アルゲアデス朝マケドニアの将軍。ペリントス包囲戦(紀元前340年)で片眼を失った。
- ハンニバル(前247年 - 前183年) - カルタゴの将軍で、第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)の英雄。
- 左慈(生没年不詳) - 後漢代末期・三国時代の中国の方士。色濃く伝説に彩られ、仙人として描かれる人物だけに、真偽のほどは疑わしい。
- 夏侯惇(? - 220年) - 後漢代末期・三国時代の中国は曹魏の武将、政治家。王沈の『魏書』によれば、敵の流れ矢が左眼に当たって負傷したことから、同族・同僚で同じく有力武将であった夏侯淵と区別できる「盲夏侯」というあだ名で呼ばれるようになったが、夏侯惇はこれを嫌がり、鏡で自分の顔を見るたびに怒って鏡を投げ捨てたという。なお、射抜かれた自らの片眼を食べたという話があるが、歴史小説『三国志演義』による創作である。
- 丁儀(? - 220年) - 後漢代末期の中国は曹魏の政治家。眇(すがめ)であったという。
- 苻生(335年? - 357年) - 五胡十六国時代の中国は前秦の皇帝。眇であったため、不吉な鬼子としてとりわけ祖父に忌み嫌われたという。
- 李克用(856年 - 908年) - 唐代末期中国の軍閥指導者で、後唐の始祖。眇の武将であったため、「独眼竜」と呼ばれた。
- 弓裔(857年? - 918年) - 韓国、後三国時代の後高句麗の王。新羅の王子とされ、幼いときに事故で片目を喪う。僧となり、弥勒の世の建設をとなえ信賞必罰の公平さで勢力を伸ばすが、暴君化して、王建に倒される。
- レーモン・ド・サンジル(1052年頃- 1105年)- 第1回十字軍の指導者の一人。トゥールーズ伯およびプロヴァンス辺境伯。十字軍以前にエルサレムへ巡礼した際に片眼を失ったという伝説がある。
- 鎌倉景政(1069年 - ?) - 平安時代後期の日本の武将。後三年の役にて敵の矢で片眼を射抜かれる。
- バイバルス(1277年 - ?) - バフリー・マムルーク朝の武将で、マムルーク朝のスルターンかつ実質的創始者。生まれつき片方の眼が異常に小さい奇形であったとも、片方の眼が白かったともされ、片目の視力は無かったとされるが、いずれにしても隻眼であったといわれている。
- バヤズィト1世(1360年 - 1403年) - オスマン帝国皇帝。隻眼であったと『ムガル帝国誌』にあるが、後代の創作とも考えられている。斜視であったとの説もある。
- ヤン・ジシュカ(1374年 - 1424年) - ボヘミア王ヴァーツラフ4世の軍事顧問で、フス戦争の英雄。晩年には全盲となった。
- 織田敏定(? - 1495年)- 1476年に負傷して隻眼になったという。
- 山本勘助(菅助、生年不詳 - 1561年)- 「山本勘助」は『甲陽軍鑑』に登場する甲斐武田氏の足軽大将で、市河家文書、真下家所蔵文書により確認される「山本菅助」と同一人物であると見られている。「勘助」は後代に武田家の軍師とするイメージが定着し、『甲陽軍鑑』によれば勘助は片目で手足が不自由であったと記されている。
- 岩松八弥(? - 1549年)
- 本多重次(1529年 - 1596年)
- 前田利家(1539年 - 1599年) - 1560年前後に、負傷によって隻眼になったという説がある。
- 伊達政宗(1567年 - 1636年)- 疱瘡によって右目を失明したと本人が語る『木村宇右衛門覚書』。瑞巌寺に右目が白濁した像が伝わる。江戸時代には右目をえぐる逸話『性山公治家記録』『明良洪範』が生まれる。1942年の映画「獨眼龍政宗」では目に矢が刺さり治療中に刀の鍔形の眼帯を巻いた姿で描写された。
- 柳生十兵衛(1607年 - 1650年) - 後代の創作との説あり。
- レオンハルト・オイラー(1707年 - 1783年) - 1735年ころ過労のあまり右目を失明。フリードリヒ2世のベルリン・アカデミーにおいて精力的に活動。「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」との異名で呼ばれる。
- ミハイル・クトゥーゾフ(1745年 - 1831年) - ロシア帝国軍元帥。露土戦争で1774年に右目を失明。
- ホレーショ・ネルソン(1758年 - 1805年) - 1794年、陸戦を指揮中に負傷して右目を失明。後に右腕も失ったため、隻眼隻腕の海軍士官になった。
- 小林虎三郎(1828年 - 1877年) - 越後長岡藩士。幼少時に疱瘡で左目を失明。
- 平山五郎(1829年 - 1863年) - 新撰組隊士。目が潰れた左側から打ち込むと猛烈に切り返し、逆に見えるはずの右側からだとわりあいに隙があったという。
- 山地元治(1831年 - 1897年) - 陸軍中将。
- 松本奎堂(1832年 - 1863年) - 18歳の時、槍術の稽古中に左眼を失明したが、平然としていたという。
- 大友亀太郎(1834年 - 1897年)
- 乃木希典(1834年 - 1912年) - 幼少期に左目を失明。
- 小泉八雲(1850年 - 1904年) - 15歳のときに怪我で左目を失明。
- 三須宗太郎(1855年 - 1921年) - 1905年の日本海海戦で弾丸の破片を浴びて左目を失明。
- 岩崎卓爾(1869年 - 1937年) - 気象観測技術者。1914年、台風の観測中に風で飛んできた石に当たり右目を失明。
- 星一(1873年 - 1951年) - 旧・星製薬(現在のテーオーシー)創業者。
- 丹下梅子(1873年 - 1955年) - 日本初の女性農学博士。幼年時に怪我で右目を失明。
- 野村吉三郎(1877年 - 1964年) - 海軍大将・外相。1932年、爆弾テロ事件により右目を失明。
- 北一輝(1883年 - 1937年)
- クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(1907年 - 1944年) - ドイツ軍将校。ヒトラー暗殺計画の中心人物。アフリカ戦線で敵の攻撃により左目を負傷。
- 双葉山定次(1912年 - 1968年) - 大相撲力士(第35代横綱)。
- モーシェ・ダヤン(1915年 - 1981年) - イスラエル国防軍参謀総長。第二次世界大戦で左目を失明。眼帯を常用。
- ピーター・フォーク(1927年 - 2011年) - アメリカの俳優。刑事コロンボ役で有名。3歳の時の腫瘍のため右目を摘出。義眼を使用。
- 三谷昇(1932年 - ) - 俳優。29歳の時に、自動車事故で片目を失明。
- 藤原雄(1932年 - 2001年) - 日本の陶芸家。藤原啓の息子。左目の視力が無く、右目の視力は弱視(0.03)のハンディ。
- 山崎拓(1936年 - ) - 政治家(自民党員)・国務大臣。小学校3年生の時に遊びの事故が元で左目を失明。
- 吉田勝彦(1937年 - ) - 園田競馬場・姫路競馬場の競馬実況アナウンサー。42歳のときに右目を失明。
- 中沢啓治(1939年 - 2012年) - 漫画家。
- たこ八郎(1940年 - 1985年) - コメディアン、俳優、元プロボクサー。泥投げ遊びで泥が左目に当たり、ほぼ失明。
- 大島みち子(1942年 - 1963年) - 軟骨肉腫のため手術で顔半分を摘出。
- 樹木希林(1943年 - ) - タレント。2003年1月、網膜剥離で左目を失明。
- タモリ(1945年 - ) - タレント。司会者。小学校3年生の時、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。
- ピーコ(1945年 - ) - タレント、ファッション評論家。1989年、悪性黒色腫のため左目を摘出。
- デヴィッド・ボウイ(1947年 -2016年 ) - 喧嘩により左目をほぼ失明。ちなみに左目はオッドアイ。
- 高山清司(1947年 - ) - 指定暴力団・六代目山口組若頭兼中部ブロック長。喧嘩により右目を失明。
- 桂宮宜仁親王(1948年 -2014年 ) - 日本の皇族で、第125代天皇(今上天皇)の従弟にあたる。原因不明で右目を失明。
- ゴードン・ブラウン(1951年 - ) - 第74代イギリス首相。高校時代にラグビー中の事故で網膜剥離となり失明。義眼を使用。
- 岩井友見(1951年 - ) - 女優。21歳の時に撮影中の落馬事故で左目が網膜剝離となり失明。
- 安西正弘(1954年 - ) - 声優。糖尿病の悪化により右目を失明。
- 麻原彰晃(1955年 - ) - 宗教家(オウム真理教教祖)・テロリスト。死刑囚。
- 野田秀樹(1955年 - ) - 俳優、劇作家、演出家。多摩美術大学教授。東京芸術劇場芸術監督。1989年、右目を失明。
- メリー・コルビン(1956年 - 2012年) - ジャーナリスト 。2001年、スリランカ内戦の取材時に左目を失明。眼帯を常用。
- 中井祐樹(1970年 - ) - 格闘家、柔術家。1995年、試合中に相手の攻撃により右目を失明。
- 卯月妙子(1971年 - ) - 漫画家、元AV女優。統合失調症の妄想が原因で歩道橋から飛び降り、右目を失明。
- マリーア・デ・ヴィロタ(1980年 - 2013年)女性レーシングドライバー。2012年、テスト中の事故により右目を失う。
- 宮川実(1982年 - ) - 騎手、高知競馬場所属。落馬事故により片方の目を失明。
はひふへほ~♬ ヾ(╹◡ ^o)ノ