2017-02-24 ピコ・デラ・ミランドラ ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(Giovanni Pico della Mirandola、1463年2月24日 - 1494年11月17日)は、イタリア・ルネサンス期の哲学者である。「人間の尊厳」を主張したとされてきたが、近年では、ピーコの用いる「尊厳」の語には「序列」という意味もあり、今日でいう「尊厳」の意味はなかった、とも言われている。ともあれ、ピーコにとって人間とは、なんにでもなれる変幻自在のカメレオンのごときものであった。なお、苗字だけで呼称されるときはピーコである。 ピーコ・デッラ・ミランドラ 生涯 北イタリア・ミランドラの貴族、ピコ家(it:Pico (famiglia))に生まれる。ボローニャ大学で法律を、パドヴァ大学で教会法を学んだのち各地で研鑽を積み、フィレンツェへ行き、哲学者として高名なマルシリオ・フィチーノと接した。若くして才能を発揮し、プラトンをギリシャ語で、旧約聖書をヘブライ語で読んだ。博識で弁が立ち、メディチ家のプラトン・アカデミーの中心的な人物の1人になった。 人間は小さな宇宙であり、その中には元素から動植物、理性、神の似姿に至るまでが含まれると考え、人間が動物と異なるのは、自由意志によって何者にも(神のようにも獣のようにも)なる事ができる点だとして、「人間の尊厳」を主張した。1486年、ローマで哲学・神学の討論会を企画し、討論会のために書いた原稿が『人間の尊厳について』 (Oratio De Dignitate hominis) で、ピーコの主著である。ただしこの題名はピーコ自身の命名ではない。 この討論会では聖体変化などについての議論も予定しており、ローマ教皇インノケンティウス8世から異端の疑いをかけられ、討論会は中止。ピーコも逃亡後、捕えられてしまうが、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの努力により釈放され、フィレンツェに戻る。ジローラモ・サヴォナローラとも親交があった。31歳で死去。 フィチーノと同様、近年は異教的な神秘主義の側面が注目されている。自然を支配する業としての魔術を信じていたが、占星術については、人間の運命が定められているというのは人間の自由意志に反する、として反対するようになり、師フィチーノの説を批判した『反占星術論』を執筆している。また非ユダヤ人としては、はじめてカバラを極めたとされる。 著書 『人間の尊厳について』 植田敏郎訳、創元社、1950年 「人間の尊厳についての演説」、『ルネサンスの人間論 原典翻訳集』 佐藤三夫訳編、有信堂高文社、1984年1月。 『人間の尊厳について』 大出哲・安部包・伊藤博明訳、国文社〈アウロラ叢書〉、1985年11月。 参考文献 エティエンヌ・バリリエ 『蒼穹のかなたに-ピコ・デッラ・ミランドラとルネサンスの物語 1・2』 桂芳樹訳、岩波書店、2004年3月。 - 歴史小説の大作。 関連項目 ルネサンス 人文主義者 ピーコ・デッラ・ミランドラ賞 イタリア文化会館主催でイタリア語作品の翻訳に対して贈られる。これまでに作家の須賀敦子、ルネサンス美術史の岡田温司(京大教授)、『マキァヴェッリ全集』を編集した永井三明(同志社大名誉教授)らが受賞。(イタリア文化に関する著作に贈られるマルコ・ポーロ賞もある) ピコ・デラ・ミランドラ - Wikipedia 見らん? どら? ....(╹ェ╹;) ミランドラ ミランドラ ミランドラ(イタリア語: Mirandola)は、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州モデナ県にある、人口約2万4000人の基礎自治体(コムーネ)。 ミランダの中心市街は、かつては星形要塞であった。 ミランドラ - Wikipedia